牧野記念庭園まとめ その2

きょうもノウゼンカズラキョウチクトウの花が映える
「真夏日」となりました。
お待たせしました~♪
先日の続きです。(^^;)

まずは大泉学園駅南口にあった看板から・・・↓

・・・

さて、牧野記念庭園に着き、庭を見学した後・・

牧野富太郎博士が30年暮らした、庭園に残された書斎も
見ることができました。
書斎には1882年(明治15年)に植物学者の伊藤圭介が書いた
「繇條書屋(ようじょうしょおく)」という額が
欄間に掛けてありました。↓
(尊敬していた伊藤圭介に頼んで書いて
もらったらしい。30回以上も引っ越したけど、
ずっと手放さず持っていたとのこと)

「繇條書屋」とは枝や草が伸び茂る書斎という意味です。
*伊藤圭介は名古屋出身の日本初の理学博士となった人物。
日本植物学の祖。
「おしべ」「めしべ」「花粉」の言葉を作った人!

牧野富太郎は植物も本も知識を与えてくれるもので、
書斎は庭とつながり、庭は日本の山とつながっている
という考えだったようです。

書屋の写真、上2枚にガラスの箱が写っているのが

わかりますか?

ガラス張りの箱は「活かし箱」と書いてありました。
採集した植物を中に入れて、写生したり、標本を作ったり
するための保存用のケースだそうです。

「出スベキノ手紙」と書かれた木箱↓

何かいいですね、こういうの ↑・・(o^^o)

特注のライトらしい。

机の上も物だらけ、

でも誰かさんのクチャクチャの机の上とはちょいと違う(^^;)

さらに同じ敷地内の展示館に行きました。

採集道具・・牧野式胴乱(植物を入れる)など↓

1881年(明治14年)、初上京の時に購入した
「ドイツ製の顕微鏡」↓

・・・

90歳を過ぎても「心は花の真っ盛り」と、大好きな
植物の勉強を深夜までしていたとか、全くすごい人だなあと
思います。

これで牧野記念庭園の植物は一応終わりということに
させていただきます。

皆さまには長いことお付き合い頂き、
ありがとうございました。

★コメントを下さる方へ・・↓

表題をクリックするとコメント欄が現れますので、
そこからコメントして下さいm(_ _)m。

☆本日、mushifab更新しました。
「カノコガ その3」です。
こちらへもお立ち寄りいただけるとうれしいです(*^^*)。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。